ヒストリー

Turning Point of ELI LILLY 創業の想い

「多くの人にとって真に有用な薬を届けることが、人々が長生きし、
より健康で豊かな生活を送る手助けとなる」

19世紀のアメリカでは、
行商人が効果の疑わしい薬品を万能薬と称し派手な宣伝文句で売り歩くことが多かった。
1876年創業のイーライリリー社は、こうした医薬品業界の在り方を良しとせず、
「誠実さ」、「卓越性の追求」、「人の尊重」を核とする独自の社風を確立し、
140年以上にわたって大切に受け継いできた。
今日、我々が掲げる、Passion for Patients(一歩ずつ、患者さんと共に)
という目標や、Service Value Chain(社員の情熱と意欲で、
最高の顧客体験を提供する)という行動指針は、
すべて創業時の熱き信念にその源流を持つ。
これからご紹介するのは、これまでイーライリリー社が育んできた信念を、
どのように社会へと還元してきたかを示すエピソードの数々だ。
イーライリリー社の歴史を紐解いてみよう。

Episode1

あらゆる緊急事態に、対処できる準備を

Integrity 誠実さ

1906年

  • 1906年に発生したサンフランシスコ大地震のわずか数時間後、当時イーライリリー社に勤めていたリン(1912年、取締役に就任)は、西海岸の全取引先に次のような電報を送った。「損壊した在庫を補充する。金の心配は無用」。1936年、ジョンズタウンを襲った洪水の際には、水に漬かってしまい売れなくなった在庫を無償で補償し顧客や周辺住民の命を窮地から救った。「すべての人に薬を届ける」この強い信念が、利益を度外視した献身的な行動へと彼らを駆り立てたのだ。

Episode2

まず人を育て、それから薬を作ろう

Respect for People 人の尊重

1930年

  • 1930年代、世界は大恐慌の荒波に飲み込まれた。大半の企業が未曾有の不況を理由に解雇整理を進める中、我々は従業員を解雇しなかった。それどころか給料、2週間の休暇、保険についても、大恐慌前と変わることなく維持した。当時の市況を考えれば、破格の好待遇だったのはいうまでもない。なぜそのようなことが可能だったのか。それは創業者であるイーライリリー大佐自身が、最も貴重な財産を従業員の信頼と忠誠心と考え、人を育てることを第一としていたからだ。「薬を作る人材を大事にする」。その精神は、今もイーライリリー社を支えている。

Episode3

研究は企業の心臓であり、企業の魂だ

Respect for People 人の尊重

1930年

  • 一般に、化合物の研究から製品化に至る確率は、1/8,000から1/30,000だという。我々は「研究開発こそ事業の魂である」という信念のもと、研究開発に多大な資金と人員を投入し、開発精度の向上に務めている。1975年には、1億米ドルの大台を突破した研究開発費は、現在に至るまで増額を続け、新たな治療法の確立のために費やしているのである。中でも、現在特に心血を注いで取り組んでいるのが「がん領域」だ。初代と2代社長の死因でもあった、がん制圧のため、これほど多額の資金を投じた民間企業はイーライリリー社をおいて他にないといわれているほど、力を入れて取り組んでいる。

現在、そして未来へ向けて

現在、イーライリリー社は、病に苦しむ人々を1日でも早く救うため、業界トップクラスの研究開発費と、世界50カ国、8,000名を超えるスタッフを新薬開発に投入している。1982年に遺伝子組み換えによる世界初の医薬品であるヒトインスリンの開発に成功し、現在も糖尿病治療薬のトップメーカーである。また近年では、2001年に「精神分裂病」と呼ばれた症状に効果を発揮する「ジプレキサ」を開発したことにより、「精神分裂病」は治療可能な症状として認知され、「統合失調症」と改称される道筋を作った。また、2010年には予防療法にとどまっていた骨粗しょう症を治療する「フォルテオ」を、さらに2015年には、胃がんが進行した状態の中、切除が不可能な胃がんに対して効果を発揮する「サイラムザ」の開発を成功させ、今まで救えなかった命を救える命へ変えてきている。

1975年に設立された日本イーライリリー社は、世界基準よりも厳しい品質基準を設けて、安心で安全な製品開発に取り組む研究開発の中枢として重要な役割を果たしている。事業領域、製品数は年を追うごとに拡大しており、2000年からの15年で、従業員数が約3倍の3,300名となった。むろん誇るべきは事業の成長性や企業規模ばかりではない。ダイバーシティへの取り組みや、働きやすさ、革新的な発想を生むための環境作りを進め、次の100年も愛される企業となるべく、今日も自己改革に邁進しているのである。

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